Q1.復帰50年イベントに参加しての感想は?
まぁ、無茶苦茶になるだろうとは思っていましたが、結果、無茶苦茶になりました(笑)。具志堅(用高)さんはハンドルのない車なんです。自分でも操作が出来ないんですよね。
Q2.復帰前の話はご家族から伺ったことはありますか?
何も聞いたことがないですね。ただちょうどその手前くらいにベビーブームが来ていて、母親はそこに目をつけたのでしょう。「これからはベビー用品が当たる」と、父親と(那覇市の)平和通りに畳数畳分ぐらい店を構えたんですけど、飛ぶように生まれたそうです。ウチの母親は商才があったんですね。ただ母が稼いだお金を、父親が浪費するというバランスの取れた家庭でした。
Q3.日々の暮らしでウチナーンチュだなと実感することは?
冬が来るにつれて、気持ち的に落ちてくる。寒いのがダメですね。東京のテレビ局が全部沖縄に移らないか?と思うくらい、冬と花粉の時期は地獄です。
半年は東京、もう半年は沖縄で仕事が出来たら理想ですね。沖縄は、人間が過ごしやすい気候に位置する島だと思ってます。
Q4.今後さらに伝えたい沖縄の魅力は?
(粟国島の葬制をテーマにした)長編映画『洗骨』(2018)もそうですが、沖縄の島々には本土とはまた違うカルチャーがあります。そうした伝統や風習を題材にして次回作を作りたいと思っています。
よく「なぜ沖縄を題材にした映画を撮るんですか?」と聞かれるのですが、いやいや、それくらい題材があって魅力的な島なんですよ。
(本土復帰1週間後に誕生し)ちょうど50歳になりましたけど、実は”洗骨”のこともそれまで知らなかった。まだまだ沖縄のことは知らない事ばかり。「もっと学んで行かなければ」という思いで沖縄の情報を得ています。
Q5.50年後の沖縄に期待することは?
具志堅さんが今回のトークで話してましたけど、一昔前まで沖縄出身者は本土でアパートも貸してもらえなかった。僕が10代で上京した時もまだコンプレックスがありました。それが安室奈美恵ちゃんを筆頭した沖縄アクターズスクールの旋風が巻き起こって、”沖縄の人は歌と踊りが上手くて、ファッションもイケているカッコいい島”になった。さらに航空会社が”沖縄の海が観光になる”という宣伝を大々的に打ってくれて、皆が憧れる島になった。今では空手の喜友名諒選手や、女子ゴルフの宮里藍ちゃんのように世界のトップを獲れるようになった。これからの沖縄は頑張って東京に追いつけという時代ではなく、そこから世界を目指せるようになった。だから、明るい沖縄しか期待していないです。
僕自身は、芸能界でやって来れたのは沖縄のおかげだと思ってます。沖縄出身ということで珍しがられたり、沖縄関連の仕事もいただいた。そういう意味でエンタメで沖縄に恩返ししたい。「おきなわ新喜劇」を立ち上げたたのもそうですし、沖縄を舞台にした映画や、最近は初の小説「海ヤカラ」(ポプラ社)も書きました。これからも恩返しできる人生になったらいいなと思ってます。
PROFILE
お笑いタレント
1972年、沖縄県生まれ
本土復帰の年に生まれた「復帰っ子」と呼ばれる世代。日本大学芸術学部映画学科中退後、中学時代の同級生・川田と「ガレッジセール」を結成し芸人として活動。2006年より映画制作を開始し長編2作目の「洗骨」(18)は、沖縄で6週連続の週末動員数のトップを記録し、国内外の映画祭で多数の賞を受賞。2019年には同作で日本映画監督協会新人賞を受賞し最新作「演じる女」(20)ではSSFF& ASIA2021ジャパン部門ベストアクターアワード賞を受賞。2019年から開始したYouTubeチャンネル「ゴリ★オキナワ」(会員数23万人)では主に沖縄の魅力を発信し、活動の幅を広げている。